アートディレクター・寄藤さんのこちらの本では、独特の味がある絵柄とわかりやすい例えで様々な死を描いてあります。
宗教によってそれぞれ違う「死」。
宗教とは又違った、その地域ごとによる独特の「死」。

「死んだら隣の島に行くのだ」
なんていう死後の世界を信じている、とある島の人達が本当にいる。この地球は広いのである。

--------------------------------

カール・グスタフ・ユング。
彼は(80歳過ぎてのことですが)、自分で死の夢を見て、死の準備をした人。死ぬ時には自分で目をつぶったのです。

立派な死に際だったけれども、その2〜3ヶ月前、自分の弟子に「自分の人生は全く無駄であった。
自分はいろんなことをやってきたけれども、本質的にはほとんど人に理解もされていないし、
本当に無駄な事をした」という手紙を出した人でもありました。



ユング派心理学者の河合隼雄さんは、こう言っています。
「日本人には宗教がないというけれども、死生観は明確に宗教的なものとして、ある意味で日本人の体質の中にある」

その河合さんは、死の恐怖を5〜6歳から感じていたそうです。そして死のことがあるから
自分は医学をやったほうがいいのではないかとも考えました。 父は歯医者、兄2人も医者なのであります。
河合さんは「死の問題を解決できるためだったら医者になってもいい」と、兄に相談の手紙を出しました。

しかし返事にはこう書いてありました。
「医者になると他人の死という事は分かるけれども、それは自分の死とは全く別問題である。
" 医学的な死 " ということは分かるけれども、" 人間的な死 " は医者になったって分かるものではない。」

結局、河合さんは、(他の理由もあるが)死の問題に対抗していくために、心理分析の仕事についたそうです。

SOLEIL du MAROC - Journal //sortir : photo

NO TIME COOKING <- front /    
     
THE CATALOGUE of DEATH 25. DEC. 2005.
-----------------------------------------------------------------------------------
   NO TIME COOKING <- front         


SOLEIL du MAROC JOURNAL index


 [C] SOLEIL du MAROC by SPJALLA , All rights reserved.

やっと出版されました。
死にカタログ」寄藤文平


THE CATALOGUE of DEATH


「大人たばこ養成講座」の寄藤さんの広告。

電車の吊り広告や、雑誌に載っているのを
見ていらっしゃるはずです。
ヘニョヘニョとした、温かいイラストレーション。
そして、まある〜い考え方。


絵柄が思い浮かばない方は、こちらを Click。

http://www.bunpei.com/

日本人を対象にしたアンケートでは、7割以上の人が死後の世界を信じているということです。
世界的に見て、これだけ宗教が無いにも関わらず、死後の世界をこんなにも信じているというのは
皆、不思議に感じると思います。そんな国民だったっけ ? と。
しかしそれは信じているというよりも、「漠然と心の中にある人が多い」という事でした。

欧米の研究者たちは、「日本人というのはすごく強固な死生観を持っていて、何であんなに
穏やかに死んでいくのだろう。うらやましい」と言います。



日本人はジタバタしない。? そんな風には一概には言えません。


河合さん論。
「 日本には宗教はあるのだ。でも、顕在的には無い。日本には宗教的な事は非常にたくさんあり、
生活の中に入りこんでいるのだ。
日本が他の国と違うのは、キリスト教みたいに教会があって、教義があって、儀式があって、
というものでは無いという事。日本人は教義とかそんなものではなくて、 人生そのものの中に
そういうことが入っているから」。

日本人の場合は、木の葉1枚とか、蝉の声とか、そんなことでも全人生が考えられたり、
宇宙が考えられたり・・・という風な生き方を、生活の中でずっとしているという事も関係している。
春になると桜の花を見て、自分の人生はかくありたい、と思う気持ち、
それから、夏も花火。パッと大輪が夜空に咲いて消える、 そこに自分の一生を重ねて見てしまう日本人。

四季の移り変わりにしろ「冬になっても次に春が来るに違いない」、だから枯れたって大丈夫って思っている。
自分の肉体というものが無くなっても何か一緒にずーっと永続的に生きてる、また帰って来るという、
そういうことを、みんな何となく心の中に持っているのではないか。
それが外国人から見ると、輪廻転生を信じているというように見えるのではないか。

河合さんは言います。
もはや科学の限界が全て相対化されていくような状況の中では、やはり自分たち自身が科学の中に
ちゃんと何かを見据えていかなければならないと。
それは、宗教的という意味とは違います。「宗教性」のことです。

河合さんには特に宗教はありません。どれかと言われれば仏教になるのかな、という感じ。
仕事柄、「死の恐怖」について自覚的であるにもかかわらず、宗教に頼ることも無いというのは非常にキツい事。
死の不安を抱えて、この世でいかに生きるか。不安なんて無くなるはずは無いのだけども、
イライラしていたら困る。とにかく社会生活を全部普通にやっていればそれで善しなのだ。

そして河合さんは、死について恐怖を感じる相談者には、あえて死については深く掘り下げないそうです。
他に夢中になれる物を考えることで、いっとき忘れさせる、そうするしか無いという。
死に対する恐怖の病気は、生きている限り治らないのだから、と。




さあ。死について恐ろしくなったなら。
寄藤文平の、もう1冊の本 「ウンココロ」で、愉快な視点を発見して、いっとき忘れ
てしまおう。

そして、キアロスタミ監督の
「自殺という出口があると知っているから、人は我慢して生きていけるんだよ」
という言葉を思い浮かべる。すると、嵐の人生だって乗り切れるにちがいない。

日本ではガンの告知をあまりしないという事です。
日本古来から来ているものはどこか曖昧さを残しながらも、うまくやっているというものだけれど、
告知するようになってきた今、その曖昧さは困るのではないか、という意見もあるようです。
キリスト教文化圏ではものすごく明確にするが、その分、外国ではカウンセラーや宗教家など
相談する機関も全て発達しているという事なのです。



モロッコ。
この国はイスラム教の国であるけれど、だからといって死に際で嘆かない人はあまりいません。
男が病気で死ねば、その妻も子供も泣いていた。
父が重い病気でいる最中に「お父さんはもう死ぬ運命なんだよ」と嘆き諦める子供もいた。
お葬式の形式に違いはあるけれど、日本の場合と特に変わらない 。
しかし自殺をする人はほとんど居ないと聞く。
それについては、やはり日本との宗教性の違いが大きいからなのかもしれないです。

日本の自殺者は年間3万人ですが、自殺未遂は当然もっと多くなり、その10倍の人数です。


さて。私の場合は子供の頃から「自分の死」というものが恐くてたまらない。
「 DNA 」
ここには、生の情報だけでなく、死の情報もプログラミングされているのも承知している。
細胞には、再生系細胞と、個体の死に直結する非再生系細胞とがあり、
そして日々3000億個の細胞が死に、同じ分くらいの細胞が生まれている。

それでもいつも「美しい月夜ももっと見たい、ずっとこの世界に参加していたい」と思ってしまう。
友人にも聞いた事がある。「死ぬのって嫌じゃないか?」。
「なんとなく次の世界がある気がする」と言う無宗教の友人も居れば、
「私と同じ宗教を信仰していれば、あの世に行けるんだけどな、、」と言う友人も居るので、
「ひぃ〜、それってわたし、このままじゃあの世に行けないって意味っ?」「うん、、たぶん、、」「・・・・。」

テヘランの町。
すでにお墓の穴も自分で掘って用意して、
自殺が済んだら上から土をかけてくれる人を探す映画、
「桜桃の味」

当然 " 土をかけてくれた代金 " だって払うつもり。が、
「え、自殺するの?、厄介な、、」風な皆の反応。
結局、主人公は生きるとは何なのかを理解し始めました 。



アッバス・キアロスタミ監督

------------------------------------
for NATURAL UNCO LIFE