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■SOLEIL
du MAROC JOURNAL
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[C] SOLEIL du MAROC by
SPJALLA , All rights reserved.
■krzysztof kieslowski
13.
MAR. 2005 ---------------------------------------------
未熟モノな私には内容を理解出来ないまま、それでもぐいぐいとスクリーンに引き込まれてゆける映画を
作ってくれる監督はたくさんいます。
わかりやすい名前では、デビット・リンチなどがそうです。
どんな殺伐としたシーンや、理解に苦しむ展開でも、アロマテラピーのように癒されていく感覚。
画面は絵画のように、4角までピーン! と緊張感があり、 構図は完璧。リンチの映画の印象です。
キェシロフスキ監督の映画は、私の中ではとてもわかりやすいほうに分別されます。
波長が合うのか、微妙な心の動きが、歯をくいしばりたいくらいに伝わってくる。
そして、いつも、1秒でも見逃したら損してしまうかもしれない、という気持ちにさせられます。
出て来る人物の描写、小さな小さな物の扱い方、主人公の部屋のすみずみ、スクリーンのしめった画像、
重さがあって心地よく、この世界に住んでいたら悲しくて寒いけど、美しいだろうと思わせる。
宿命にひきずられて、人々の心と愛がすこしずつ繊細に動いていくのを、ガラス玉から透かして見つめます。
キェシロフスキが54才で突然亡くなったのは、1996年3月13日。
はやくも10年前のことです。
もったいない事だけれど、まわりまわる逆らえない運命みたいなものには脱力です。
それから、彼の映画によってみずみずしく花を咲かせていた女優の、イレーヌ・ジャコブ。
ものすごく昔、SUEDE というイギリスのバンドがいた。なよなよした不快なボーカルと、
ボーカルのように目立ちまくるギターのメロディーが、素晴らしいからみ合いを作り出していた。
ギターとボーカルはとても仲が悪かったけれども、そのふたりの出会いと、そしてその
タイムリーな時代によってしか生まれない、美しい音たち。
ふたりが離れたとたん、光りはパーッと消えてしまった。それぞれに才能はあっても、もう光る事は無い。
キェシロフスキが亡くなって、イレーヌ・ジャコブの光りも、きっともう見られなくなってしまうだろう。
そのことも残念でした。
身を切るような孤独を知っている者だけが、
人生の美しさを真に享受することができる
krzysztof kieslowski クシシュトフ・キェシロフスキ
そんなことを語っている映画監督が作った映画に対して、
石岡瑛子さんは、こうコメントしています
角砂糖をひとつ持ってコーヒーカップに近づける。
すると白い角砂糖にコーヒーがゆっくりと滲み込んでいく。
そのクローズアップだけで、
追いつめられた主人公の
それしか見たくないという寂寥感を表現していく。
女優、イレーヌ・ジャコブのサイト
http://www.eddog.com/ij/
そのたたずまいには、秘めている繊細さや、
深さ、知性、しなやかさを感じます。
イレーヌのサイトの文字は可憐な色遣い。
彼女をよく知っている人が選んだ色だとしたら
少女の頃のなつかしい気持ちを残す女性なのでしょう。

大切な映画たちには、想いを込めた美しい曲が捧げられ、流れてきます。
フィルムも、サントラのCDも、入れ変わりの激しい、わかりやすい大作映画によって
日本の映画産業からだんだん消されてしまいそうで、止めるすべはないのかなと時々思いますが、
ずっと見ていたい景色、心を揺らす映画、すべては出会った時に、ぐぐっと自分の体に吸収してしまって
ときどき、ふらっと思い出して生きていれば、形に残さなくてももうそれで十分かもしれない。
いずれは自分すらもこの世界から無くなってしまうのだから。
キェシロフスキはポーランドの人ですが、途中の作品からフランス色が濃くなります。
それでも、ポーランド映画によくある、重くてしっとりした質感はずっと変わりませんでした。
キェシロフスキ監督とその映画については、こちらを参考にして下さい
http://www.bitters.co.jp/kies/kie.html
Krzysztof Kieslowski < クシシュトフ・キェシロフスキ
>
1941年、ポーランドのワルシャワで生まれる
ポーランドの現実を独自の視点でとらえ、差し迫った社会危機をはっきりと指摘した最初の映画作家
76年 劇場用長編「傷跡」
79年 映画を撮る行為自体を問題にした「アマチュア」
81年 ひとりの青年の巡る運命を3つのエピソードで表現した「偶然」
84年 81年末の戒厳令による状況悪化の中から「終わりなし」
87年 TVシリーズ「デカローグ」 第5・6話を劇場用に再編集した「殺人に関する短いフィルム」
88年 「愛に関する短いフィルム」
91年 フランス合作「ふたりのベロニカ」
93年 94年までかけて「トリコロール」3部作
96年 54歳の生涯を終える
02年 遺稿となったダンテの「神曲」に基づいた3部作のうち、「天上篇」を
トム・ティクヴァ監督(ラン・ローラ・ラン)が「ヘヴン」として映画化
キェシロフスキと同じくポーランド人の監督には、重苦しい作品が多いのですが
たとえ反体制の中においても自分の心に偽りを持たず、客観的に冷静にまわりを見つめています。
ワイダもポランスキーもすでに名匠ですが、育った環境は恵まれておらず、
ポランスキーは7歳の時に強制収容所を、そしてレジスタンスやワルシャワ蜂起も体験しています。
アンジェイ・ワイダ..... 大理石の男、 灰とダイヤモンド、 地下水道
ロマン・ポランスキー..... ローズマリーの赤ちゃん、ナインスゲート、戦場のピアニスト
キェシロフスキの映画のテーマとしては
「愛に関する短いフィルム」などの作品が、
今後も評論家に語られてれていくのかもしれません。
でも私は、イレーヌ・ジャコブが動いている
「ふたりのベロニカ」、「トリコロール・ルージュ」が
きらきらと輝いている気がします。
誰かが誰かと出会う事でしか生まれない、
実力だけではどうにも作り出せない偶然の大きい力は
宿命によって生まれる宝物です。
表現せずにはいられない、という感じの、新しい感覚の日本映画を作る行定勲監督は、意外にも
キェシロフスキのファンだったそうです
行定勲監督の「GO」は、2002年 マラケシュ映画祭の最優秀作品賞にあたる「金の星」(Etoile
d'Or)を
受賞しています。
2005年 夏、上記にちらりと書いたUKバンドのSUEDEのふたりは、長年の空白の後、the
tearsという名で
再度一緒に音楽を創っています。
あの時のような強い光りを出すには、ふたりが一緒になる事と共に、それがタイムリーな時間であることが
大事なのだけども、やはり今となってはもう、少し遅過ぎてしまったのかもしれません。